「飲み会の帰り、つい電柱の陰で…」 「高速道路の渋滞中、緊急事態で…」
50代以上の男性なら、若い頃に一度はそんな経験があるかもしれません。昭和の時代、男性の「立ちション」は、決して褒められたことではないにせよ、ある程度は“仕方ないこと”として大目に見られていた風潮がありました。
しかし、その価値観はもう通用しません。
現代の日本では、「立ちション」は明確な犯罪行為です。
この記事では、昭和の価値観と現代のルールの狭間で戸惑うあなたのために、なぜ「立ちション」が許されない行為になったのか、昭和・平成・令和の時代の違いを紐解きながら、その背景を分かりやすく解説します。

法律で明確に禁止されている「立ちション」
「大げさな…」と感じるかもしれませんが、まず押さえておくべきは法律です。立ちションは、気分やマナーの問題ではなく、法律で罰せられる可能性がある行為なのです。
根拠は軽犯罪法!罰金はいくら?
立ちションは、軽犯罪法第一条二十六号に該当する可能性があります。
軽犯罪法第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。 (中略) 二十六号 街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者
※出典:e-Gov法令検索 軽犯罪法
違反した場合の罰則は「拘留(1日以上30日未満)または科料(1,000円以上10,000円未満)」と定められています。金額の大小ではなく、前科がつく可能性があるという事実を重く受け止める必要があります。
昭和の「立ちション」はなぜ大目に見られたのか?
では、なぜ昔は今ほど厳しく言われなかったのでしょうか。それには、いくつかの時代的背景があります。

トイレが少なかった物理的な理由
今でこそコンビニや商業施設で気軽にトイレを借りられますが、昭和の時代は公衆トイレの数が圧倒的に少なく、整備も不十分でした。特に夜間は、利用できるトイレを見つけること自体が困難だったのです。
「男だから」で済んだ時代の空気感
「男の生理現象だから仕方ない」「細かいことを気にするな」といった、良くも悪くも“おおらか”な価値観が社会全体にありました。プライバシーや個人の権利よりも、集団の和や暗黙の了解が優先される時代の空気感が、立ちションを黙認させていた一因と言えるでしょう。
決定的に変わった!平成・令和でNGになった3つの理由
その“おおらかさ”は、平成を経て令和の現代で完全に過去のものとなりました。立ちションが絶対NGとなった背景には、大きく3つの決定的理由があります。
①街の美観と公衆衛生への意識向上
社会が豊かになるにつれ、人々は清潔で美しい街並みを求めるようになりました。悪臭や汚れの原因となる立ちションは、街の景観や公衆衛生を損なう「迷惑行為」として、厳しい目が向けられるようになったのです。
②監視カメラとSNSによる「見られるリスク」の激増
現代は、街の至る所に監視カメラが設置されています。「誰も見ていないだろう」は通用しません。 さらに恐ろしいのがSNSの存在です。もし誰かに面白半分で撮影され、動画や写真がネットに拡散されれば、個人の特定に至り、社会的信用を完全に失うリスクさえあります。

③組織で問われるコンプライアンス意識
特に管理職の立場にある方にとって、これが最も重要なポイントかもしれません。 現代の企業は、従業員のコンプライアンス意識を厳しく問います。もし社員が立ちションで検挙されたとなれば、個人の問題だけでなく**「会社の信用問題」**に発展しかねません。「昭和の常識」を部下に語ろうものなら、パワハラやセクハラと受け取られるリスクすらあります。
- 悪臭・汚れ → 公衆衛生の問題
- 不快感 → 個人の権利侵害の問題
- SNS拡散 → デジタルタトゥーのリスク
- 会社の評判 → コンプライアンスの問題
このように、立ちションという一つの行為が、多岐にわたる問題を引き起こすのです。
まとめ:昭和の価値観をアップデートし、信頼される大人であるために
かつて許容されていたことが、今では犯罪になる。この変化は、日本社会が成熟し、個人の権利や公共の福祉をより重視するようになった証拠です。
過去の自分の経験を否定する必要はありません。しかし、リーダーとして、一人の社会人として、その変化を受け入れ、自らの行動規範を現代のルールに合わせてアップデートしていくことが求められます。
「昔はよかった」と懐かしむだけでなく、「なぜ今はダメなのか」その背景を理解し、部下に自分の言葉で説明できる。それこそが、変化の時代に求められる、真に信頼される大人の姿ではないでしょうか。